生命への貢献

 

「生命への貢献」

 

” すべての出会いが生命に貢献するチャンスです。
買い物をしているときも、ガソリンスタンドで給油するときも、職場の同僚と会うときも、人を思いやるチャンスです。
ところが気が急いていたり自分のことで夢中になっていると、まわりの人々がまるで物のようにしか目に映らず、せっかくの神聖な瞬間を逃してしまいます。生命に貢献するチャンスを逸してしまうのです。しかしそんなときでも、ふと一瞬立ちどまり、生命の聖なる神秘をその人と分かち合っているところを思い起こせば、あなたは生命に貢献するチャンスを手にしたことになります。
ほんのちょっとでも立ちどまって相手の目を見るとか、どんな方法であれ、その人が単なる客体ではない何ものかの存在であるのを認めたことが相手に伝わるだけで、それは生命への貢献になるのです。
あらゆる人間関係はすなわちチャンスです。どれだけ言葉を発したか、行動したかより、あなたが自分のエネルギー場に保持している内的姿勢がものを言います。
あなたが出会う人を好きであろうと好きでなかろうと、だれもがみな「大いなる神秘」の一部であるという内的姿勢をただ保ちつづけてください。なぜかと言えば、それが実相に寸分たがわぬ描写だからです。あなたが真にこのことを信じ、心に銘記するなら、まさに神聖で尊いものを生み出しています。

*

出会う存在のそれぞれに価値を見出すことで、あなたは生命に貢献します。たとえ相手が見ず知らずの人であっても、背景や信仰がわからなくとも、その存在もまた生命の一部であるとあなたが気づいていることを相手に示してください。あなたのエネルギー場にそうした意志を保てば、ひとことの言葉を発せずとも、愛と受容が相手に伝わります。それが生命への貢献です。”

 

トム・ケニオン 『新・ハトホルの書』より

 

 

まっさきに思い浮かんだのは、鶴瓶さんと「家族に乾杯」という番組のこと
そしてこの夏の冒険みたいな旅の終わりにタカラガイを贈ってくれた海みたいな人のこと

そして日常にもたくさんのいのちの交し合いが、あちらでも、こちらでも
混み合うバスで運転手さんが降りる方ひとりひとりにいってらっしゃいませと声をかけられる様子や
道で行く先を譲り合う時に会釈しあうちょっとした瞬間、
電車でそっと席を譲る方と譲られる方のあたたかなやりとり

自分への覚書として