1/18より開催中の 「かみ こえ なかいま」二人展に寄せてことばを綴りました
これは、一緒にこの時間を準備した馬渕寛子さんとわたしが
お互い書き合おう、と事前に約束していたもの
なかなか手が動かず展示初日朝にやっと準備できたことば
あめつちからの分だけ、覚書としてこちらに掲載させていただきます
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中今(なかいま)ということばは、水族表現家 二木あいさんがご自身の写真展のタイトルにされていたことから知りました。
ヨガの体験を深める中で出てくる教え、この瞬間に在ること。
それはヨガだけでなくどんな世界でも“いまここ”にあることを伝えてくれていました。
“中今”を本当に体験できたと感じたのは、呼吸を留めなければ出会うことができない海の中の世界に入っていった時。
わたしたちの陸の世界とはまた違うそれは美しい世界が拡がっているのに、わたしは海の中でただ自分のいのちを保つことに必死で精一杯。
それでも一緒にいたおっきな海のような人たちと中で生まれた安心にふときもちがゆるんだ時、初めてこの世界にしかない美しさを体験しました。
フィンの先からこぼれる光の泡粒
海の生き物たちが縦横自由に泳ぐようす
珊瑚はいろとりどりに海の森をつくっていること
どこまでも続く大海のひとところにうねりとともにやってきた海水の温度
空を飛ぶように自由に動ける重さを失くした身体感覚
それは自分のいのちを真っ直ぐに差し出した時に訪れる美しさ。
数年前、新種のウィルスで世界が暗闇に包まれた時、いのちがとても近くに感じられた。
その日々はわからない恐怖や不安ばかりだったけれど朝になれば明るく太陽が昇り、鳥や虫、動物も植物もいつものようにそこにいてくれる。
その健やかな存在に周波数を合わせると家の中に居てもとても自由でどこへでも行ける気がした。
その時に感じた深い安心と静けさは海の世界で呼吸を留めてくつろぐ感覚と同じなのだと思いました。
海の中でも陸の上でもどこに居てもこの瞬間じぶんの世界を信頼して大らかに一緒にいること。
そして同時にこの弾けるいのちを目一杯感じられているということ。
馬渕さんといると、そんなおっきな安心を感じます。
今携わる家業の農家を一生の仕事という彼女が農閑期に歓びの中で手を動かして生まれるものは、
ちょっと変で軽やかで誠実で、でもとても美しい。
この自然物のような人との時間を想像した時、“中今”ということばが出てきました。
いつも大地とともにある人が感じている瞬間瞬間がそこに現れている。
きっと形をもってこの世界に現れ出るすべてのものや存在は、
目には見えない光の粒子がさまざまな形となってこの地球で出遭い合う意思を携えてやってくるのだろう、
そんなことを想います。
今日も、この場でみなさんとこの瞬間を分かち合えることにただ感謝して。
あめつち 堀 裕美子