夏の夜の「もうひとつの時間」
「もうひとつの時間」
ある夜、友人とこんな話をしたことがある。私たちはアラスカの氷河の上で野営をしていて、空は降るような星空だった。オーロラを待っていたのだが、その気配はなく、雪の上に座って満天の星を眺めていた。月も消え、暗黒の世界に信じられぬ数の星がきらめいていた。時おり、その中を流れ星が長い線を引きながら落ちていった。
「これだけの星が毎晩東京で見られたらすごいだろうなあ……夜遅く、仕事に疲れた会社帰り、ふと見上げると、手が届きそうなところに宇宙がある。一日の終わりに、どんな奴だって、何かを考えるだろうな」
「いつか、ある人にこんなことを聞かれたことがあるんだ。たとえば、こんな星空や泣けてくるような夕陽を一人で見ていたとするだろ。もし愛する人がいたら、その美しさやその時の気持ちをどんなふうに伝えるかって?」
「写真を撮るか、もし絵がうまかったらキャンバスに描いて見せるか、いややっぱり言葉で伝えたらいいのかな」
「その人はこう言ったんだ。自分が変わってゆくことだって……その夕陽を見て、感動して、自分が変わってゆくことだと思うって」
人の一生の中で、それぞれの時代に、自然はさまざまなメッセージを送っている。この世へやって来たばかりの子どもへも、去ってゆこうとする老人にも、同じ自然がそれぞれの物語を語りかけてくる。
星野道夫 『旅をする木』より
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ここ最近大雨や雷でびっくりするお天気ですけれども
そのお陰で昨晩のお空はすっきり澄みわたり
星たちが沢山現れてくれました
とても賑やかなお空でしたよ
先週の8月満月夜より始まった夏のオンラインヨガは
秋分を迎える頃まで自分とじっくりすごす時間です
量子の世界では
意識を向けたものにエネルギーが流れるそうです
どんな周波数にチューニングしていたいのか
お気に入りのラジオ番組を聴くように
自分で選べます
チューニングといえば
先週いただいていた夏やすみに実家に帰っていてあらためて感じたのは
ずっと流しっぱなしのテレビから聞こえてくる沢山すぎる情報、に上乗せして
台所で母がかけているラジオからの声
お風呂場が台所とテレビの部屋に隣接しているものだから
実家のお風呂でゆっくりとすることはとてもハードルが高いものになってしまった、、、
母にとってはさまざまな音に囲まれて安心するそう
ここは母の場、無下に「止めて」とはもう言うまいと思いました
止めないと、どこの部屋にいても聞こえてくるチューニングしたいと思わない周波数で
自分ってどんな人間だったっけとあっという間にわからなくなることも体験した
貴重な夏やすみとなりました
そんなであらためて
どこに心を寄せるのか、寄せたいのか
自分で決められるときは、ていねいに自分自身に尋ねて
めいっぱい自分にすきなようにさせてあげたいものです
そして自分が変わっていくことをあきらめないこと
そんな秋までの時間となりますように